宮沢賢治が亡くなった後の戦時下、あの『雨ニモマケズ』はいろいろ利用されちゃった節があるようなのですが…
しかも、この動画の中でも述べられますが、(←ご紹介していた動画が埋め込みできなくなってしまっているようなので削除しました/ 2018/07/16)GHQの修正指示があって「玄米四合」を「玄米三合」に変更されたこともあったようです。
このことを知ったのは随分前でしたけど、その時は「ひどいなぁ」なんて思ってました。
けれど、よくよく考えてみると四合は1日お茶碗8杯分くらい。
一合がお茶碗二杯分の計算です。
1日の食事にお茶碗二杯のご飯を3度食えたら、これは決して貧しいレベルではないでしょう。お茶碗二杯のご飯を1日4度食べるのは贅沢の部類かもしれません。
そうであればGHQの修正指示はそんなにいけないことでもなかったような気がします。
あとはおかずが適切なバランスかどうかですね。
ところで、玄米と白米どちらが栄養価高いかご存知ですか?
昔は白米が贅沢なものとして認知されていましたが、江戸の人々が白米ばかりを食べていて脚気(カッケ)になったりしたんですよね。
野菜や果物や穀物あらゆるものにわりと共通だと思うんですが、外側のところに栄養含有率が高いみたいです。
お米の一番栄養があるところを削って削って出来上がる白米は、玄米に比べると栄養価が低いのです。
今、玄米買うとめちゃ高いでしょう。
この時代、一日に玄米四合を続けてごらんなさい、あーた。
消費カロリーとのバランス取れなかったら、きっと太りますよん。
けれどもっ…!!
宮沢賢治さん本人に確認が取れるわけではないから真実かどうかは別として、あの『雨ニモマケズ』は一般への発表を前提とした詩作ではなかったとする見解が主流のようです。
私もその見解に同意するものです。
私は、あの『雨ニモマケズ』は自分自身への誓いや目標設定だっただろうと思います。
学校の先生を辞めちゃって自らも農家の人となった賢治さんは、その仕事をきっちりこなすには ”丈夫な身体” が必要だったはずです。
がむしゃらに仕事をし、あちこち駆けずり回り、それから学問や研究もやり、執筆活動もすれば、身体のみならず脳みその方もかなりエネルギー消費していたはずです。
しかも賢治さんは当時の平均からすると身体が大きい方の方だったそうですから、基礎代謝も多くなります。
そうしたことごとを考えると、賢治さんにとっての玄米四合は贅沢ではなかったかも。
「しっかり食べて、丈夫な体でたくさん働いて、しっかり社会貢献するんだ!」という誓いだったかもしれません。
それも、病気の体をおしてがむしゃらに頑張ってらっしゃったようですから、その病気に負けないためにも一日四合の設定だったかもしれません。
賢治さんが生きていた時代に、現代の栄養学と医学があったら、彼は本当に素晴らしい体躯と教養と名声を全て手にしていたかも…なんて思ったりします。
コメント
宮沢賢治さんについて、イメージと違った面を知りました。玄米4合のところも興味深いです。
私たちは宮沢賢治さんと直にお会いしたことがないので、皆さんそれぞれのイメージをきっとお持ちでしょうね。
玄米四合は量が多そうですね(^ ^)
でも、おかずの質素さはかなり気になりますね。無理せず健康に長生きして欲しかったです。