海は、形容しがたい壮大な姿をしています。とりわけ、日が沈む瞬間は。そんなとき、自分が自然に溶け込み、ひとつになるように感じます。そしていつも以上に、個人という存在の無意味さを感じるのです。それは幸せな気分です。
これはアインシュタインの言葉です。
文部省唱歌の『海』が発表されたのが大正2年。
それから9年後の大正11年(1922年)に、アインシュタインは日本を訪れました。
ベルリンにいたアインシュタインが日本に招かれることになった時、本人が「あれほどまでに羨望の的になったことは、いまだかつて、私の人生の中で経験したことはありませんでした」と語るほどに周囲の人々が羨ましがったそうです。
当時、日本はそういう国だったんですね!
来日したアインシュタインは親友への手紙で次のように書いていたそうです。
「やさしくて上品な人びとと芸術。日本人はハーンの本で知った以上に神秘的で、そのうえ思いやりがあって気取らない」
ハーンとはラフカディオ・ハーンのこと。またの名を小泉八雲。
あの有名な『耳なし芳一』の作者です。ハーンはギリシャで生まれ、両親と生き別れ、数奇な運命をたどりながら日本にまで渡りました。そして日本を好きになり、日本人女性と結婚して帰化しました。
アインシュタインは、日本文化を愛したラフカディオ・ハーンの本を読んでいたのです。
ところが、実際に日本の土を踏んだアインシュタインは、変わり始めた日本の姿に警告を残していました。
「たしかに日本人は、西洋の知的業績に感嘆し、成功と大きな理想主義を掲げて、科学に飛び込んでいます。けれどもそういう場合に、西洋と出会う以前に日本人が本来もっていて、つまり生活の芸術化、個人に必要な謙虚さと質素さ、日本人の純粋で静かな心、それらのすべてを純粋に保って忘れずにいて欲しいものです」
この気持ちは、おそらくラフカディオ・ハーンも同じだったと思います。
この警告文の中にある “生活の芸術化” や “質素さ” という言葉で、私はまたまた宮沢賢治を思い出します。
宮沢賢治は 農民芸術概論綱要 というものを書いています。
その中に次のような文があります。
職業芸術家は一度亡びねばならぬ
誰人もみな芸術家たる感受をなせ
個性の優れる方面に於て各々止むなき表現をなせ
然もめいめいそのときどきの芸術家である
創作自ら湧き起り止むなきときは行為は自づと集中される
私はこの言葉にとても共感するんです。
最初の一行「職業芸術家は一度亡びねばならぬ」なんて、ちょっとプロのアーティストにとっては穏やかでない発言かもしれませんが(^o^)
でも正直、お金儲けや名声のためなら卑怯なことも平気でするような芸術家だったら、いなくなってほしいなとは思います。
もともとは日々の生活の中で、普通の人々が、普通に神や自然への捧げ物として舞を踊ったり歌ったりしていたはずなんです。
船をこぐ時に黙々とこぐより歌いながらの方が元気に漕げたかもしれないですし、作物を収穫する時に黙々と作業するより歌いながらの方が疲れを紛らわせたかもしれません。
そう思える踊りや民謡はたくさんありますよね。
絵や彫刻やデザインだって最初はそうだったはずです。普通の人々が狩りへの思いから洞窟に壁画を描いたり、器の形を追求したり模様をつけたり、祈りや遊びなどの様々な目的で人形を作ったりしてきたはずです。
芸術は一部の芸術家や評論家が権威をかさに着て牛耳るものではないと思います。
誰もが何かにおいて優れた面を持ち、それを生かして本気でやりたいことをやりなさいと、賢治さんはそう言っているのだと思います。
質素さや謙虚さについては、賢治さんは自分の目指す理想像を『雨ニモマケズ』に書き記しています。
アインシュタイン来日の1922年、賢治さんは25歳くらい。
↓きっと色々影響を受けていると私は考えています。
ちなみに1922年という年は日本農民組合の結成(農民運動)があったり、ソビエト社会主義共和国が誕生した年です。
資本主義だ社会主義だと世界中でもめまくって、思い描く社会像の違いから思想と思想が反目を繰り返す状況の中、宮沢賢治は社会主義教育を疑われて面倒な思いをしています。
宮沢賢治が
「世界ぜんたいが幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」
と訴えていたものの、悲しいかな “支配” を愛する人々の手で世界は再び大戦の渦中に引きずり込まれていきました。
アインシュタインのこの言葉も紹介しておきたいと思います。
「人は、海のようなものである。あるときは穏やかで友好的。あるときはしけて、悪意に満ちている。ここで知っておかなければならないのは、人間もほとんどが水で構成されているということです」
『海』という日本の歌には、他にも「海は広いな大きいな」と歌うものがありますね。
♪ 行ってみたいな よその国
私も行きたい〜(笑)
けれど、この記事を書いていて思いました。
異国文化も異国風情も楽しいけれど、日本人は日本をどれくらい愛していて誇りに思っているのかなぁ?
残しておくべき古くからの日本独特の文化は、忘れられ葬られてしまってもいいのかなぁ?
自分が長く住み慣れた場所や、自分自身というものについては、当たり前になりすぎていて他とは違う自らの良さがわからなくなりがちな気がします。
とくに自分サイドにないものを他が持っていると「いいなぁ」「羨ましいなぁ」と思うこともあるものでしょうが、そっちにばかり気を取られていると、もともと自分サイドが持っていた良いところを磨くのを怠ったり見失ったりしてしまうこともあるのではないでしょうか?
そうすると自信を失ってしまうことになり、誰かを羨んだり嫉妬したり足引っ張りするばかり。そんなの楽しくないですよね。
自分自身の国と、自分自身を、みんなが愛して誇りに思うようになれたらいいですね。
コメント