私たちは、生きるためにどのようにして外部からエネルギーを取り込んでいるのでしょうか? 今回は私たちが取り込むエネルギーについて肉体と精神の両面から見てみたいと思います。
私たちが食べる動物の肉について
ずっと共有を迷っていた動画を、共有することにしました。『世界で一番重要なスピーチ(ゲイリー・ヨーロフスキー)』と題されたYouTube動画です。一時間ちょっとの動画なのですが、この動画の紹介を迷い続けてきたのは、次の3つの理由からでした。
- 目を背けたくなるような残酷な映像が含まれている
- 畜産業に知り合いがいる
- 私自身が肉も魚も卵も乳製品も口にし続けている
けれども、自分たちがどんなものを食べているのか、何も知らないというのはやはり危険だと思うので、まずは知り、冷静に考えていくきっかけとして、この動画を紹介したいと思いました。
16:20 と 1:00:40 に残酷なシーンが含まれます。
16:20からの映像は映画『アースリング』からのものです。人の反応は様々ですから、とにかく見ないで問題にフタをしたがる人もいるでしょうし、『進撃の巨人』のアルミンやミカサみたいに「最初から世界は残酷なんだ」と、それが人間が生きていていく上で当然の摂理だと考える人もいることでしょう。
私自身、完全に動物や魚や貝の肉を絶っているわけではないので、「みんな菜食主義になろう!」とか主張する気はありません。少なくとも私は、動物の肉を食べる人を叩くような菜食主義者を歓迎しませんし、畜産業者を全て悪人のようにひとくくりにして叩くような菜食主義者も歓迎しません。
それでも肉を食べる機会は減らすようになりました。そうなったのは、単に「殺される動物がかわいそうだから」という理由だけではありません。
エンリケ・バリオス作『アミ 小さな宇宙人』でアミが
よく死骸が食べられるもんだ!
と言おうが、上の動画を見ようが、私はスーパーに行けば、そこに並ぶ肉や魚を見てそんなふうに思うことはあまりないんです。
では、何が大きな引き金となって肉や魚を食べる機会が減ったのかというと…
映画『アースリング』全編を観て、自分がどんなものを食べているのかを知ってしまったから。
そこには、腫瘍やただれ傷や糞尿にまみれた家畜が映し出されていました。(*すべてそのような業者ばかりとは思っていません)
スーパーに並ぶ肉が、切られてしまう前の生きた動物の姿だった時、その動物が清潔で健康だったかどうか保証がないという不安だけは、スーパーに行っても消えなくなりました。
残酷なものや醜いものは見ないでフタをしておきたい人は、その自由を邪魔する気はありません。でも、自分がどんなものを口に入れている可能性があるか、知っておきたい方は映画『アースリング』をしっかり観てみることをお勧めします。(かなりトラウマものですが)
また、上の動画の16:20からの映像について「人間が便利に生きていくための必要悪だ」と言いたがる人は1:00:40からの映像もしっかりご覧ください。
ゲイリー・ヨーロフスキーさんの上の動画の講義後の質疑応答も載せておきます。
食環境の問題
私は正直なところ、完全菜食主義を目指すのが正解かどうか分かりません。それよりも深刻に考えるべきと思っているのは、菜食主義者にとってさえ、もはや食環境は保証されていないことだと思うんです。
遺伝子組み換えの野菜や穀物や魚もあるとなったら、もう何を食べれば安全なのか私には分かりません。
そしてさらには、私たちの食をめぐって環境が壊れているという問題があります。
道徳の観点から見る食
ここで、もう一度ゲイリー・ヨーロフスキーさんの主張の根幹を確認してみると、彼は「道徳」の問題として食を考えていることがハッキリしています。
2:40「自分がされたくない事を他者にしてはいけない」
2:52「汝、殺すなかれ」
2:57「それはどの宗教でも最も重要とされているのに、最も無視されている教えだ」
もしゲイリーさんが「動物大好き、かわいい動物のために人間は全員我慢しろ」というようなノリだったら動画紹介はしないんですが、私はこの2分台のところで語られている思いの方を大事に考えました。
私たちが食べる恐怖と怨念と病気
映画『アースリング』を観てしまった私は、しばらくトラウマでした。ゲイリーさんが紹介して見せている部分はまだまだ序の口なんです。本当にすごい地獄絵図でした。
それまで大自然の中で自由に生きた動物が、ある日人間に狩られるというものとは全然違うのです。
太陽の光をいつも浴びているのか、生まれてからどれくらい自然の大地を歩いたかも分からない狭い狭い閉鎖空間でただ生かされ、ある日仲間が悲鳴をあげながら殺されるのを見て、そして自分の番が来るのです。
この憂鬱と恐怖が蔓延した空間で生きた動物は、果たして「健康」なのでしょうか?
豚は共食いすらしていました。この地獄は決して自然なのではなく、人間が作り出したものです。
私たちがその地獄絵図を見ずに幸せに肉を美味しく食べていられるのは、飼育し解体してくれる人々のおかげです。
これに毎日取り組まねばならず、慣れるしかない人の思いのことも考えました。食肉用の動物を殺し解体する人々の中には、自分では自覚しておらずストレスを溜め込んだり価値観が歪んだり病んだりして常態化している人もいると思うんです。そうでないと毎日ちゃんと働いて生きていくことができないのだから。これも経済社会が抱えている問題だと私は思います。
さて、私が今回の記事で最も考えたいことは、ここからです!
以前「神の粒子」と言われる『ヒッグス粒子』のことに触れたことがあります。
”人間に限らずあらゆる生き物が生きる中で、様々な感情や思考が物質や空間に刻み残されたり影響を与えたりすることがあるとしたら”と私は過去に書いているのですが、もし本当にそういうことがあった場合、生まれた時から異常環境で地獄が常態化した世界の動物の肉には、どんなエネルギーが蓄積されているのか? ということを考えてしまうのです。
私の今回の記事のタイトル『私たちが食べている恐怖と病気』は、そういう気持ちからきています。
「食べるのは肉。べつに牛や豚の魂は食っていない」という声も聞こえてきそうですが、心と体はつながっているものです。科学的に全く無関係とは言い切れないと思います。
精神を大切にするというのなら、それとつながっている身体も大切にしなければなりません。
(アインシュタイン)
自然を管理しすぎない
そんなことごとを考えながら、昨日YouTubeで知ったアニメがあります。『地球少女アルジュナ』です。
食べ物はいつから私になるんやろう?
心はどこにあるん?
脳みそ以外は私じゃないわけ?
物事はみな、目に見えぬうちから始まっている
近いうちにレンタルで探して、きちんと鑑賞したいと思いました。このアニメでは農地を過度に管理することによる肥料と農薬の弊害も学べます。
「ただのマンガ(アニメ)やろ」「現実と作り話をごっちゃにするな」とバカにする人は、マンガという形態なだけで中身を判断するおバカさんなので、そういうおバカさんは↓こちらの現実・奇跡のリンゴを育てた木村さんの講演を観てしっかり学習してください(^o^)
芸術についてのブログなので、↓こちらのアニメーションも、もう一度ピックアップしておきます。フレデリック・バック作『イリュージョン』です。
豊かな自然と共生していた人々が、ずる賢いペテン師に時間も自然環境も奪われていく様子が描かれます。
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