私は実はならずもの ごろつき さぎし、ねぢけもの、うそつき、かたりの隊長 ごまのはひの兄弟分、前科無数犯 弱むしのいくぢなし、ずるもの わるもの 偽善会々長 です。
なにが偽善といふならばこうすれぱ人がどう思ふと考へる。何がさぎしと尋ねれば、きれいな面白い浮世絵をどこかで廉く買はうと考へる。その他は説明の限にあらず。
これは宮沢賢治さんが友人に宛てた手紙の中の文章です。
たしか家業の質屋の店番を引き受けていた頃のものだったと思います。
今回は宮沢賢治さん宛てに、私がどうしても書きたかった手紙を書かせていただきます。
拝啓 宮沢賢治様
何か納得できずに打ちのめされているような感じを私は受けました。そんなに自分を悪く言わないでください。
私はこれまで何人かの方に「どんな偉い人も、本当は自信がないものなんだ」と聞かされたことがあります。
「偉い人」というのは、周囲の評価によってその偉さが成り立っているのだから、ある時みんなから否定されたり無視されたりするようになれば、当然その「偉い人」のプライドは傷つくでしょう。
それと同じで、偉くなる以前に理解されず、正当な評価を得られずにいる人(当時の宮沢賢治さんとか)も、自信を失いがちなものだと思います。
お父様からも、書いた物語や詩を「唐人の寝言」と言われていたのですから、そういう否定的評価に自分が圧し潰されないよう自信を維持していくのは、大変なエネルギーが必要だったと思います。
貴方の創作をとても好んでいた妹のトシさんが亡くなったことによって、その辛さは益々のもだったと私は考えます。
ならず者 ごろつき … これは素直に家業の質屋を継がずに、人を不幸にしない自分の仕事を探し求めて、それを定められなかった自責の念から出た言葉だと思います。
詐欺師 … 何がさぎしと尋ねれば、きれいな面白い浮世絵をどこかで廉く買はうと考へる。これは質屋の店番をしているからでしょうか。欲しいものを安くで買いたいのはみな同じでしょう。あるいは質屋の仕事で得たお金でお父様から養われてきたことも含むでしょうか。あるいは、そのあとに続く
ねじけもの うそつき かたりの隊長 … 実話ではない物語を書くことで生計を立てたいと思ったことを含むのでしょうか。
前科無数犯 … 『銀河鉄道の父』で読んだことが本当なら、子供の時の火事、妹の最後に対する捏造などなどでしょうか。それから畑のスイカもストローでチューチューしたそうですねっ(^o^) 前科無数犯…私だって、これまでの人生振り返れば、恥じることは山のようにありますし、失敗や過ちは数知れず。どんなに頑張っても、これから先も完璧に非の打ち所のない存在になどなれません。神様仏様がいるのなら、それに比べて前科無数なのはみな同じ。どんなに頑張ったって、少なくとも命を食って生きていますし…
わるもの … その上に賢治さんは特高警察に尋問され、新聞でも傷つけられました。
弱むしのいくぢなし ずるもの … 戦争に行かなかったからですか?
偽善会々長 … なにが偽善といふならばこうすれぱ人がどう思ふと考へる。 … それを全く考えない人は、誰かに何かを伝えたり表現しようとは思わないでしょう。それから、誰かを傷つけないためにやさしいうそをつくことも、沈黙することも、人にはあるじゃないですか。
私が小学生の頃、しわしわのおばちゃん先生が、あるプロボクサーの話をしました。しわしわのおばちゃんからプロボクサーの話が飛び出すとは思っていなくて、それが強烈に印象に残っています。
おばちゃん先生が語り出したプロボクサーの名前はモハメド・アリ。アリはヘビー級のチャンピオン、勇者であり強者でありヒーローです。その彼がベトナム戦争への出兵を拒否したという話でした。
彼は戦争に参加することを拒否したため、名誉を剥奪され、罪人のように扱われたのです。
そのことは私が大人になってから映画にもなりました。
投獄したきゃしろ。俺たちは400年牢獄にいたようなもんだ。あと5年ぐらい、どうってことない。16000キロも離れた国まで行って貧しい人々を殺すより、よっぽどマシだ。どうせ戦死するなら、ここで政府と戦って死ぬ。
だから、賢治さん、あなたは弱虫の意気地なしなんかじゃありません! その証拠に、あなたはその後も書き続けました! 弱虫の意気地なしは、理想や信念を曲げず書き続けたりできないはずです。
ところで宮沢賢治様、あなたはきっとミヒャエル・エンデ氏とあの汽車で話をしたのでは?
エンデ氏はきっと、ブルカニロ博士がジョバンニに教えたことを、マイスター・ホラに受け継がせ、モモに語り継いでいますね。
そして、あなたに対する敬意をジジというキャラクターに織り込んでいる気もします。あなたの物語を一番喜んで楽しんだ妹トシさんのことは、主人公モモの中に。お話を作って聞かせるのが大好きな青年と、お話を聞くのが大好きな少女ですからね。
ジジとモモも運命に引き裂かれて会えなくなっていきました。ジョバンニとカンパネルラが離れてしまったように、あんなに仲の良かったジジとモモも本当の別れがやってきます。
賢治様、エンデ氏はあなたに、胸の内にある苦悩を吐露したのでは?
なぜなら、お話作りで大成功してお金持ちになったジジは、こう言っています。
「これできみにもわかっただろうーーーぼくがどんなになってしまったか。」自嘲するように彼はちょっと笑い声を立てました。「もどりたくても、もうもどれない。ぼくはもうおしまいだ。おぼえているかい。〈ジジはいつまでもジジだ!〉、ぼくはそう言ってたね。でもジジはジジじゃなくなっちゃったんだ。モモ、ひとつだけきみに言っておくけどね、人生でいちばん危険なことは、かなえられるはずのない夢が、かなえられてしまうことなんだよ。いずれにせよ、ぼくのような場合はそうなんだ。ぼくにはもう夢がのこっていない。きみたちみんなのところに帰っても、もう夢はとり返せないだろうよ。もうすっかりうんざりしちゃったんだ。」
(ミヒャエル・エンデ作『モモ』より)
このあとに続くセリフにも私は泣いてしまいました。
宮沢賢治様、あなたご自身とエンデ氏は、お二人のうちどちらが幸せだと思いますか?
カムパネルラの眼にはきれいな涙がうかんでいました。「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう。」ジョバンニが云いました。「僕わからない。」カムパネルラがぼんやり云いました。
(宮沢賢治作『銀河鉄道の夜』より)
人間の真の価値は、おもに、自己からの解放の度合いによって決まる。
(アルバート・アインシュタイン)
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